匠工房は、身近な自然(光・水・風など)との共生をテーマに、こだわりを持った家づくりをしています。
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湖北の家  
     
 
 

概要

 「熊野」は古くは「隈野」と書かれたという。「隈」は奥まった場所。道や川などの折れ曲がっている所を言う。確かにその様な地形にあり、静かな美しい村である。
この集落は高月町の南西部にあり、賎ヶ岳から山本山に至る舌状連山により琵琶湖と背合し、余呉川の下流集水地で、沼沢地が多くあった。

  熊野の歴史は古く、最澄が堂谷に寺院草創したとき(810年)、鎮守神として尊崇したと言われる天八百列神社や、塩津谷の松節長者が草創したと言われる熊渓山了覚寺(1053~1058年)、浅井氏が山本山城を攻撃した古戦場跡(1518年)など、集落内には今なお数多くの歴史的遺産が存在している。また、湖上交通の時代、熊野から山本山を越えて片山港に至る「山越えの道」は、近郷の年貢米を背負って運ぶ道、魚の行商の道として、地元の人達に「大坂」と呼ばれ親しまれたそうである。

 そんな山本山を背景に、岩嵜邸はたたずんでいる。敷地の南西に広がる田は、浅井氏の山本山城攻めの陣屋があった場所と言われている。陣田南には天保5年(1834年)頃より始まったとされる寺子屋跡があり、その1年後(天保6年)に岩嵜邸の母屋が創建されている。母屋、土蔵、門が立ち並ぶ様子は、容易く得ることのできない風格を漂わせており、その歴史の深さを感じることができる。昔の様子が残る玄関や住宅内の大きな梁、存在感のある門など、古き良きものが少なくなりつつある現代において、今なお生活の一部として大切に使われ続けていることに大変感動した。岩嵜邸は、168年という長い年月の中で、熊野の生活や文化、また、家族の歴史が刻まれた大変貴重な場所であると言える。

建設年代

母屋     天保6年(1835年)
2階増改築  昭和48年(1973年)
北土蔵    正徳6年(1715年)
北土蔵曳家  文化11年(1814年)
南土蔵    文化9年(1812年)

住居の原型
昭和48年改修前外観写
天保6年(1835年)新築時推定平図面
をPDFファイルで紹介

 
 
 

外観 南東面


アプローチ

 
 

玄関


居間

 
 
ワークスペース

 

座敷

 

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