■柏原宿の家
柏原宿の中では往時の面影を残す町屋(伊吹堂、巌佐邸など)が集中する重点地区に建築された一般住居である。隣は旧造り酒屋(巌佐邸)、斜め向かいには伊吹堂があり、外観に対して強い縛りを感じた。
軒の高さは隣の造り酒屋に合わせて、瓦の水平線が揃うよう計画した。また、街道に立つ建物の並びの中で「壁面線」はかなり重要な要素となるが、壁面の位置を隣の造り酒屋に極力合わせることで、街道の雰囲気を壊してしまわないようにした。
現代の車社会では、住居を建築する場合には当然、家前面に空地を取り駐車場とし、軒高は高く取り「たて」にも広がりを持った充分な居住空間を得ることが、常識であると言える。今回は、その2点をあえて取り止め、まちの景観へ配慮することとした。(軒高が低くても充分な居住室間を得るために、梁をあらわす・吹抜けで上下をつなげる等の工夫をしている。)
「僕の家もまちの顔」として、建築主の「町並みに対する理解」と「町に対する愛着」が深いことに感動させられた建物である。
いわゆる伝健地区(伝統的建造物群保存地区)で、建物の建築時に表面は古い様式で改修や新築が行われるが、一歩中に入ると、驚くほど洋風な建物に出会うことがある。「柏原宿の家」では、構造(骨組み・木組み)は、江戸時代に建築がなされた前住居の実測と調査に基づいた伝統的な工法とし、内部の仕上げも木・土壁などの旧来の素材を使用しながら、現代の生活に適応できる計画をしている。
また、旧住居の部分的な部材(肘木・格子)を再使用し新しいものとの時間差を感じることが出来るようになっている。
特に肘木については、旧住居に取り付いていた当時から町の人々の記憶の中に深く刻まれており、建て方後しばらくして再び玄関横の柱に取り付いた時、道行く人が懐かしく見入っている姿を目にすることがあった。記憶を継承してゆくことの大切さを痛感した。
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